-野球人生のグラフを作ると、今はどんな状態?
上原 悔しいですけど、自分が決めたことなので今がMAXですね。21年間も野球生活ができたことですね。それが感謝。一緒にやってくれた選手、監督、コーチ、周りに感謝です。野球にも感謝してますし、満足しています。
-ハイタッチは
上原 あれはジャイアンツ来てからは沢村をどついてるだけなんで。それができないのは寂しいですね。
-うれしかった、苦しかったことは
上原 うれしかったのは優勝した時。日本では2002年のシーズン、アメリカでは13年。悔しかったのはアメリカに行って1年目、肘をケガして、野球が出来なくなると思った時ですね。あの時は悔しかったですね。
-現役はビールは1本までと決めていたが、明日からは?
上原 ビール3本、4本飲んでも大丈夫な気持ちになる。朝起きた時に肘が肩が、ハムがと気にしなくて良いんだと思いますね。
-原動力は
上原 負けたくない、反骨心、それだけですね。明日からはどうなるか分からないですけど。
-背番号19での引退
上原 去年もらってから、原さんがもう1回頑張ろうといって契約してくれて、智之が空けてくれて、本当に感謝しています。
-支えになった言葉は
上原 直接ではないが、野村さんの本を読む中でいっぱい良い言葉を思い出しながら、桑田さん、工藤さんとすばらしい先輩に言葉をかけていただいたり、村田さんからは我慢という言葉をいただいた。いろんな方からいい言葉をいただいたなと思う。
-子どもたちへのメッセージ
上原 野球を好きになってほしい。それだけですね。
-WBCで里崎氏がすごい球を投げていたと
上原 今のサトの言葉にうれしい気持ちと、あの時はみんな帰る準備していた。実力ではトーナメント上にいけない中で、アメリカが負けた。韓国に1度も勝っていない中で、あの試合で切り替えて、人生の中で3本に入るピッチングだったと思う。
-レッドソックス時代は
上原 褒められていることが会見の中で、コージには第六感があると言ってもらって、何言ってんだろという感じですね。
-配置転換を告げられた時は
上原 中継ぎになった時に、はっきりと先発で使わないと言われた。メジャーで投げたいという気持ち、AAAで投げる気はなかったので中継ぎでメジャーに残れるならという気持ちだった。受け入れるのは簡単でしたね。
-指導者へのイメージ
上原 プロ野球選手は全員がプロ。正直教えることはない。アマで教えた子がプロに入るのを見てみたいとは思ってます。そこまで強くはないですけど。
-テンポの良さが持ち味。それは意識した?
上原 あまりテンポを速くしようと意識したことはない。高校、大学とバッティングピッチャーをずっとやっていたので、そのリズムで投げていたのかも知れないですね。
-後輩へのメッセージ
上原 今年は2軍選手とずっと過ごしてきた。若い選手には2軍にいる選手には1日でも早く1軍に上がってほしいと思います。
-家族は
上原 1番近いようで、遠かったですね。アメリカと日本だったので。約9年単身でしたから。子育てをしていなかったですから。嫁には本当に感謝しています。
-いつ引退を伝えた?
上原 いつって言うのは覚えていないんですけど、結構前からそろそろかなと。1週間前くらいですかね。お疲れさまという感じですね。奥さんからですね。子どもは半分アメリカ人入ってるので、コングラッチュレーションといわれました。
-巨人という球団はどういう球団だった?
上原 まず巨人に戻ってくると正直考えていなかった。そういう状況の自分を取ってくれた鹿取さん、由伸には感謝しています。こういう場を用意してくれた球団に感謝してます。
-高橋由伸、松井稼頭央さんには何か伝えた?
上原 2人には電話とLINEで伝えました。由伸にはお疲れさんと言ってもらって、稼頭央には最後までやれと言われたんですけど、自分で決めたことだからと返したらお疲れさんと言ってくれました。
午後4時26分会見終了。花束を渡されて、会場を後にした。
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2019-05-20 07:06:00Z
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